中国正宗静坐「座禅」と静心静坐の簡釈


静坐と現代生活


 各般の科学学者の研究によれば、静坐は潜在能力の開発と養生・健康の面に次のような優れた効果・利点
 があると指摘されている。
1. 心理学者によれば:
  静坐は人間の思考・意志・創造・学習などの力を強化させ、生活面からのプレツシヤーから解放させ、
  それを緩和させる作用があり、不安定な精神状態を消し去ることができる。としている。
2. 生理学者によれば:
  静坐は新陳代謝を順調に進め、内分泌は均衡になり、血液の正常な循環・神経系統の調和・新細胞の
  成長を促進して、身体の自然な活動を回復する。としている。
3. 生化学者によれば:
  静坐は血液の乳酸塩を自然に降下させ、不眠・緊張・焦燥など、思わしくない現象から免れることができる。
  と認めている。
4. 生態学者によれば:
  静坐は人と環境とを自然に調和させ、作業意欲を高め能率を増強させる。と強調している。
5. 社会学者によれば:
  静坐は人間関係を改善し、生活空間を拓き広げ、家庭の幸福と社会調和の進歩を促進する。と主張している。

中国正宗静坐の伝習


 中国正宗静坐は、中国五千年前の祖先から伝え残された「強身・強精・養生・長生・天人合一」の
唯一の遺産であり、古代の道家が精神と肉体とを鍛錬して、物理世界の束縛を乗り越え、
身体と精神ともに長生不老の妙境に到達することを目指して行った基本的な修練方法である。
天帝教の初代首席使者 李玉階先生、すなわち94才(1994年)の涵静老人が、親しく伝授される中国正宗静坐は、
自然を宗とし、無為を法とし、性と命との双方を修めて肉体を使わないことを鍛煉の大原則としている。
修持の場合には、いささかも人為的な力を借りることなく、ひたすら自らの陽気を集中することに努め、
上帝の霊陽真気を迎える、つまり本数の特有の租気と融合し、これが調和するのをまって、
後は自然の運化にまかせるのである。
これは自然法則に従って行う修煉であり、気を求めなくとも、気は自然に集まってくる。
 神を労せずして神は自ら虚に還り、一霊常に照らして万念すべて空になり、神を超えて化に入り、
有形の身と無形の精神とで絶妙の境界に入り、身外の身としての恒久の生命が成就する。

方便の法門一静心静坐


中国正宗静坐は、宇宙昊天無上の心法であるから、その伝習目的が単に治病・独身・健康・長寿にあるだけ
ではなく、更に非情に深遠宏大な天人合一という目的と功能とがある。
 本数の同奮は正宗静坐を学習するに当たり、必ず正気と奮闘精神をもち、初歩的な面接試験に合格
しなければならないが、更に百日間の静坐訓練を終了することになっている。
 このことは、一般の人が世俗の用務を投げうって訓練に参加することは、恐らく不可能であろうと思われるので、
多くの人の便利を図って、ここで特別に一種の簡易学習の方便法門である「静心静坐」の法を紹介して、
社会の心ある人士が、こぞって学習に参加できる利便に供している。
 
 この静坐要領は非情に易しく、誰もが学んで会得でき、その学習による主要なメリットには次の諸項が含まれる。
(1) 病源を取り除き身体を健康に保つ。
(2) 頭脳明晰となり思考が敏捷になる。
(3) 情緒が安定し心境が闊達(小事にこだわらない)になる。
(4) 精神力が旺盛になり活力が満ち、日常生活からくるノイローゼを解消し、仕事の効
    率を高める。
(5) 正気を養い規律ある生活習慣を培う。
(6) 身を修め性を養い胸中に安静と快楽の心を創る。

着手の方法


● 上半身の背筋を真っ直ぐに伸ばして座り、両足を地に着け、手は膝の上において、自然で楽な姿勢をとり、
   臀部(尻)は椅子の半分くらいの所に落ちつける。
● 「廿字真言」を黙念あるいは小声で念唱して、その一字一字がすべて臍(下丹田)まで降りていくように
   想像するのが原則であり、これがまた大切な秘訣である。「廿字真言」とは、私たち人間が生活上守るべき
   「人生守則」のことであり、その内容は次の通りである 。「忠・恕・廉・明・徳」「正・義・信・忍・公」
   「博・孝・仁・慈・覚」「節・倹・真・礼・和」。
  この廿字を念唱することは、この廿字によって心を正し、身を修め、反省幟悔する 
  のであり、その意味を臍まで降ろしてくるのは、浮動する気を降ろし落ち着ける修 
  行である。
● 所要時間は十分間から数時間にも及ぶが、本人の状態によって決める。
● 気が臍に降りる時、これに意を介せず、自然のままにしておく。自然のままにまかせておけば
   知らず知らずのうちに、正気の加持をうけて、病気も治り、身も強くなる。
  静心静坐は簡単であり、行い易くしかもその効果は迅速にはっきり現れてくる。誰でもこれを学習でき、
  しかも何も後遺症はなく、現代人に最適な静坐の法門である。