巡天節 聖訓




主任主席使者・・・

2000.2.2 午時

己卯年の巡天節に教主 上帝の巡天に随行致し深い感銘を受けた!。
我が同奮、弟子の中で、公正で無い行為をなしたり、欲望のままに赴く者がいるのを見て本席は恐懼している。
本席が人間界に居た時、座禅の際、五官に感じた事について軽々しく言語や文字にあらわす事は終始なかった。
このことは同奮が文章の意味を生かじりし、或いは中途半端に理解し、或いはその意味を錯誤する事により、
人を誤らせまた、自分も誤りを犯すことをさける為にその様にしたのである。
本席は再度強調する!、座禅はこれ即ち我々が水を飲んでいる時にその冷たさや暖かさを自然に
感じ取れるのと同じで、座禅中に何か執着する物を感じたと言うのは、これ皆虚想妄想の類いである。
考えを起こしたり考えを注いだりしないで、五官が受ける知覚気感を取り去る事である。
そうなれば座禅の奥妙に入る事ができる。更に個人個人によって先天、後天の因縁は同じく無く、
体質も同じで無く、霊質も同じでは無い。座禅に於いての生理上、心理上の変化も同じでは無い!。
嘘である物を本物であると間違える事を放下しなさい!。最初の一歩の踏み出しを誤れば全ての努力は無に成る。
一念があっても注意をしなければ業の影が着いて来る。最初の1mmの違いは千里の差に成る戒めこれ有るのみ!
慎み之有るのみ!。
修道には到達する近道は無い。一坪を耕せば一坪分の収穫が有る。
本席は座禅することにより教化を行った。同奮に希望する事は『性』『命』両方を修め、
内外の両方を兼ねて修める修行を行う事である。
根本に成る事は心の底から努力を積む事である。絶対に急ぐな!利に近付くな!神に通じる事を求めるな!
顕化する事を求めるな!。
崇敬荘厳、肅穆(おごそかでうやうやしい)の心を持ち続ける事は救劫使者として当然の事である!。
巡天節期間中に特に同奮は、各自の言動に妥当でない所が有れば即刻反省懺悔を行い、
巡天節の神聖なることを心に記し、天帝の教化を心にとどめて忘れない様に。

西暦2000年庚辰年より、同奮は功徳も過失も自分の責任の元で担い、常に感謝の心を持ち、
行動を自分で抑制しなさい。己卯年巡天節期間中、本席は同奮各位の中で、道心が不滅で、
不退転で奮闘している者がおり、虔誠(慎み深い真心)礼敬(うやまい)の心を持って誦誥している者がおり、
自分の考えが正しいと思っている者がおり、神がかった有りそうな事を講じ、感応を求めたり、
顕化を求める者がいるのを見取っている。
本席は同奮が自覚と自省を果たす事ができ、宇宙大道に達する事が必ずできるものと深く信じている。
本席はあなた達に対し終始関心を持っていますよ!。


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