二十字真言の簡釈





:中と心の二字で忠となる。良心を眞中におき、光明正大に身を持し、事を処理す
   るに存分に心力を尽くし、着実に実地に足で立ち、正直無私、良心に忠、天地に
   忠、国に忠、家に忠、朋友に忠、事事物物に忠なること。



恕:心根が真面目で温厚、常に心を以て心に対し、相手の気持ちを察し、万物を寛し
   て大目に接し、寛容と理解の心で人に対応する。



廉:すべての事に先ず旧知(天知・地知・人知・我知)の戒を守り、注意深くかえりみて、
   事の善悪を考え、手にすべきでない財物は取らず、節倹を本旨とする。



:身を処するに、事の道理に照らし、物欲を離れ、「酒」「色」「財」「気」の本
   質を看破して、正気を養えば、おのずから心境は光明になる。



徳:現代の国民は善良な品性・正直な行為・己を捨て去るだけの心意気を持たねばなら
   ない。人間が諸悪から離れ、諸善を奉じ行えば、その修徳は天地の配慮にもそい、
   精神は不死となる。



正:誠意正心、修身斉家、いささかたりとも秘しごとを考えず、よこしまな心を起こ
   さない。口に偽りの言なく、目には悪を見ず、耳に不正を聞かず、足にけがれた
   歩みが無くなれば、正気は満ち溢れ、悪魔はおのずから退散してしまう。



義:物事をすべて公正合理的に考え、自ら為すべきこととしたならば、それをやり遂
   げ、仁にかなえば一歩も譲らず、義とみれば勇んで為し、生死も辞さない。



信:言行は一致して、終始変わることなく、誠実にして欺くことなく、一語千鈞の重
   みがある。



忍:人間は失意に見舞われた時、その心は刃で切られる思いである。これを忍ぶこと
   ができない場合、小にしては一時的とは云え、怨みの種を播くとになり、大にし
   ては一生涯の禍根を残すことになる。もし心気が平静であり得るならば、人の耐
   え難いことにも耐え、憤り恨む心は起こらず、栄辱の念も生ぜず、ひたすら広い
   度量で寛容の心を持ちつづければ、人の忍び難いことも忍び、怒りの悪気は自然
   に全く姿を消してしまう。世の中のことは、すべて忍により成功し、また忍がで
   きないために失敗するものと知るべきである。



公:自己と他人との区別なく、私心を持たず、剛直で正しく、一方に片寄らず、天下
   の公道に従って私心を去る。



博:聖人の道、仁愛の心を押し広げ、世人を教化し、衆生を済度する。すなわち孟子
   の「善推所為」の意である。



孝:父母は即ち天地である。「孝」の一字だけでも、天地の鬼神を感動させるに充分
   である。古人は「孝」を百善の最たるものとしたが、現在の人は、孝道を知らな
   い。その病根は父母の恩を知らぬことにある。たとえ知っていたとしても、財貨
   とか妻子のために覆いかくされている。父母は日に老衰が進む、今にして孝養を
   つくさなければ、後悔しても及ばぬことになることを知るべきである。
   羊にして脆乳の仁あり、鳥にも親に餌を運ぶ義があり、禽獣にしてさえ恩返しの 
   道を知っている。人間が若し孝順奉養の道を知らぬとなれば、禽獣にも劣ること
   になるのではあるまいか。



仁:仁は天が生命を育む徳であり、万物が生生と発育しつづける道はすべて「仁」に
   基づくのである。万物の発育は、いずれも「仁」に基づくのであるが故に、もし
   果物に仁(注:核の中のたね)がなければ、その主機は絶滅してしまう。願わくは天
   下の人々が私心がなく、己を愛する心をもって人を愛し、人を愛する心を押し広
   げて万物を愛してもらいたい。これが天に対する恩返しである。



慈:本心から仁愛の情緒をもって人の苦難を救い、穏やかな顔と悦びの態度で人に対
   応する。



寛:およそ是と非・善と悪とが弁別でき、その是と善とを選んでこれに従い、その非と
   悪とを選んで、これを遠ざける。これが「覚」の功用である。およそ心を清め欲
   を少なくし、性を養い真を修めていけば、吉凶禍福に対して常に予感があるもの
   だ。これは心の誠から生じる悟りの閃きの効果によるものだ。



節:人が窮乏の末、困難辛苦な境遇にいても、不正をしないでおれるのも、また乱世
   にあって生死を問わず自らの志を守り抜くことができるのも、例えば古代の烈女
   が二夫に嫁せずとし、忠臣が二君に仕えずとするのも、すべて「節」の一字を以
   てその志を堅固にしているからであり、しかもその不撓不屈の気概こそが、天地
   の正気が集まって来るものである「節」には別に消費を過度にならぬよう制限す
   る意味もある。



倹:生活を質素にし節約して、足るころを知って分を守り、福徳をありがたく受け借
   しみ、その散発を慎む。



真:人に接してはごまかさず偽らず、己を律して濁を捨て清しを留め、身を修め性を
   養い、常に真・一切が真であれば、自己本来の姿に自然に戻ってくる。



礼:尊卑を定め、長幼の序を重んじ、男女の別をわきまえ、貴賎を明らかにし、身を
   立て世に処しては、恭謹と誠敬を旨とし、規則に従って礼節を越えない。



和:宇宙天理の真象は、「和」の一字にあり、大にして言えば、天体太陽系の各星が、
   その和を失えば、直ちに混沌が現れ、物質と自然とがその和を得られぬとなれば、
   直ちに生気はなくなる。小にして言えば、人間の霊魂と肉体とが、和を得られな
   いとなれば死亡があるのみ、人類の内心の感応が、その和を失ってくれば、仇や
   恨みが生じ、人と人とが不和になれば、争いとなり訴訟ともなる。社会秩序がそ
   の和を得なければ変乱が起こり、国と国とが和を得なければ戦争が発生する。世
   界が平和でなく、科学と哲学とがしっくりしないと、真理の追求も難しくなる。
   この故に天地の基盤、立国の基本、人たるの道も、和を重んじることにある。

以上述べた人生守則「廿字真言」の浅釈は、先師簫公昌明が自ら書き留められた人生指南の中から
編集したものである。その主旨とするところは、先ず人々が、これを熟読し、理解し、
体で会得することが望まれるのであるが、そのためには、20字の中からいずれか1字を選び出し、
これを日常生活の中に融け込ませて、自らの体で努力していけば、そのほかの19文字も連動して
通じるようになる。
この守則が奉じられて、忠実に守り行われることが久しく続き、習慣となってくれば、己を正し、
人をも感化し、社会の気風も盛んとなり、天心は直ちに転じて、人類の末劫も無形の間に消え失せる
希望も生まれてくるのである。
                                      天帝教騒人間首任首席使者
                                               李玉階 敬記

廿字真言の効用


 廿字真言は人間が身を持って生活する上での準則である。それはまた、天帝教の教徒同奮が日常修練する
教科でもあり、一般の人が家庭または祭壇などで祈祷礼拝するときでも、毎日朝晩数十回から数百回念唱して、
内心を省み、更に身をもって努め行って正気を養っていけば、各廿字主宰の霊力が感応し、
その加持によって個人の業障は消し除かれ、家庭内の陰霊邪気は解消されてくる。
 廿字真言を五十回、または百回念唱するごとに、廻同文を念唱する。廻向の対象は大は世界・国家であり、
小は個人でもあるが、それは状況によって決める。

廿字真言の礼拝法


 神殿、仏堂、あるいは会場などで焼香礼拝の後、心願を黙祷してから脆き、廿字真言を一回念じる毎に一回叩首し、
これを百回繰りかえすのが基準である。
効用:反省鐵悔を通じ、心神専一の礼拝により、廿字主宰の仙仏の感応による霊力と加護を受け、
病を消し去り長生ができ、陰霊を引導し諸事順調に運ぶ。

廿字真言の甘露水


 コップ1杯の清水を眼の前に置き、両手を胸に組み(椚心)廿字真言を念じる。念唱回数は百回を基準とするが、
こうして、無形(神仏)の霊力が普通の清水を甘露に変える。
効用:随時に応急の用に対応でき、百病を去り除き、陰濁の気を洗い流すことができる。その効果の大小は、
施行者の正気の熱準の高低によって決まる。